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アニメや本についての雑記です。オタクが書いてます。

君の名は。 三葉のお父さんと母の死

 

 瀧くんが御神体の中で観た回想シーンのなかで、三葉の母親の死、それから父親が宮水家から勘当され出ていくまでの三葉の生い立ちが示される。そしてその後、再び三葉と入れ替わり、隕石から町の人々を救うために奔走し、三葉の父親と対峙する。ここには父親殺しの主題が見て取れる。

 ここで三葉(瀧)は事情をなんとか説明し、お父さんの協力を得ようとするが、「妄言は宮水家の血筋か」と取り合ってもらえない。業を煮やした三葉(瀧)はお父さんに掴みかかっていく。そこで初めて「お前は誰だ?」と、三葉の父は目の前の自分の娘の姿をした存在が、娘ではない何者かであることに気付くのである。”誰そ彼”のモチーフはここでも繰り返されている。

 さて、ここでは三葉のお父さんの視点から観た物語について考えて行きたい。瀧くんが御神体で見た回想の中で、三葉のお父さんは一度は宮水家と結びつき、そしてお母さんの死を経て宮水家から切断された存在であることが示される。冒頭のシーンで、父親の町長選挙の話がラジオから流れてくるのを、お婆さんがラジオのコードを抜いて電源を切る姿が描かれているが、この”コードを抜いて電源を切る”という行為は、”糸を結ぶ”という行為と真逆の呼応性を持っていて、お父さんが宮水家から切り離された存在であるといことを象徴的に示すものである。

 そこでお父さんと三葉(瀧)の対峙するシーンに戻って考えたい。このシーンはお父さんにとって、母の死と、宮水家から切り離されるという”切断”の持つ意味を深く悟った瞬間だったのではないだろうか。お婆さんの口から、不思議な夢をお婆さん自身、また三葉の母もかつて見ていたと語られるシーンがある。「妄言は宮水家の血筋」というセリフを発した時、お父さんは三葉の背後に恐らく母親の面影を見ている。

 三葉の父親民俗学者→宮水家の神主→町長という経歴を持つ人である。これは作中の雑誌の記事のカットによって明かされている。お父さんは神主として、宮水家のしきたり、巫女の血筋、御神体の隕石の壁画、湖の由来、地方に伝承される万葉時代の言葉(万葉時代は約1200~1300年前、隕石が落下した年代と符号する)などに触れていたはずである。

 これらの断片から、繭五郎の大火によって失われた宮水家の儀礼の意味に、お父さんはある程度まで迫ることが出来たんじゃないかと思う。元民俗学者として培った素養が、神主として携わった糸守での断片的な事象の数々を俯瞰的に捉え、その中に一貫した流れを見出すことを手助けた。一貫した流れとは、かつて隕石の落下から始まり、伝承されて来たであろう”結び”の事象の数々である。その最後のひと押しをしたのが、三葉(瀧)との対峙だった。そしてお父さんは、自分が今ここに居る意味を、その大きな”産霊”の中に見出すのである。

 つまり、隕石から町を救うためには、自分が今この瞬間この場所に町長という立場に居ることが絶対に必要だった。消防署の出動権限や避難訓練の実施は、神主ではなく町長という立場に居なければ出来ないことだからだ。そして、町長になるためには、宮水家から一度切り離される必要があった。町を隕石から救うために誂えられたかのような状況の布置。さらに、全ての契機として、母親の死という”切断”が意味付けられることに、お父さんは恐らく気付いたのだ。民俗学者としての素地、神主としての経験、母親の死、宮水家からの分離、町長としての今......自身の全てが、かつて隕石の降った時から始まった大きな”産霊”の流れの中に編み直され、町を救ったあの瞬間に集約されたのだ。